フィクションノート(3)
信者乙
車を運転していて突然、「信者乙」という言葉が浮かんだ。
ネットスラングだ。
あまり品のいい表現とは言えない。
乙、というのは「おつかれさま」という意味だが、「信者」というのは何かの考え方に熱心な人、ないし誰かの思想を信奉する人、あるいは誰かの熱狂的なファン、と言うくらいの意味だ。
用法としては、掲示板やツイッターなどで何かの議論が盛り上がってきて、ある特定の思想の強い主張がなされたとき、特にその主張の内容が未熟な時などに「信者乙」とコメントして冷やかす、というのが主たる用法だ。それを応用し、実際にはしっかりした主張に対しても「信者乙」とコメントすることによって「お前の主張はなってないぜ」という意思表示に使われることもある。しかし、こういうネットの発言の常として、言っている本人が何を言っているのか良くわからない、混乱した感じで発言していることもよくある。すると「信者乙」という言葉は、なんのあてもないただ無名の冷めた悪意のようなものとしてネット空間を浮遊するだけのものになったりする。
つまり、あまり上等な言葉とは言えない、便所の落書きのようなものだと言ってもいい。
しかし、実は私はこの言葉が好きだ。あまり意味のない使われ方をしていると困ったものだなあと思うが、絶妙に人を刺すタイミングで使われると、ときどきぐうの音もでないほどのダメージを発言者に与えているのを見かけることがある。皮肉屋なら、一度はそういうことをしてみたいと思うものだ。
しかし、こういう皮肉というのは運動神経を必要とするし、皮肉をキメたからと言って何か生産性があるわけでもないので、バトル上の一つの打撃に過ぎないし、相手は無傷を装うから、見た目はただの自己満足に見えたりする。
こんなものが好きだ、というのはあまり自慢になることではなくて、まあB級グルメや下手物好きの部類に入る。言葉のB級グルメというのは品のない言葉でブログを書いてアクセスを稼ぐというのと本質的には同じだ。そのときにはいいかもしれないが、結局自分に帰って来る。飲み歩いて最後にラーメンをすすり、すぱすぱ煙草を吸う、という快楽と同じようなもので、いつか自分に帰って来る。ろくなものじゃないことは分かっているのだ。
しかし皮肉というのは、どうしてあんなに気持ちがいいんだろう。毒舌屋と言われて悦に入っている手合いを見ると「乙」と思うだけなのだが、まあ結局は自分も同じ穴の狢なのだ。
そう思って車を第三京浜に入れる。夜のハイウェイは滑走路のようだ、とユーミンのフレーズで自分を脱臭してみようとするが、染み付いた臭いはなかなか取れない。