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フィクションノート(5)世の中の裏側

私は世の中の裏側にいる。

世の中の裏側にいて世の中のほころびを切り貼りしているのだが、この仕事はなかなか大変だ。

この世の中というものは竹籤と和紙でできたハリボテみたいなもので、すぐ破れてしまうのだ。私はハリボテの中にいて破れたところを繕っているのだが、世の中にだって太陽が強烈に降り注ぐ時もあれば雨にぬれる時もある。びしょびしょの和紙をいくら補強しても水に溶けてしまって悪戦苦闘だ。

また世の中のハリボテを破ろうと指を突っ込んで来る悪ガキ共もいる。そういう奴は内側カラハリでちくんと刺してやれば懲りる奴がほとんどだが、ときどき石を投げて来る悪質な奴がいるから閉口する。世の中が破けて困るのはむしろそういう奴なのだが、そういう奴ほど良くわかってないのだ。

私はもう何百年も世の中の裏側にいて、そろそろ面倒くさくなっているのだが、どうだい君、君なんか世の中の裏側に向いてるんじゃないかな。

歓迎するぜ。

報酬は特にないけど補修用の和紙と糊はいくらでもある。一度なっちまったらなかなかやめられないのが玉に瑕だが、まあどうってことはない。仕事に追われて二百年くらいすぐ過ぎちまう。

どうだい、面白そうだと思わないかい?

フィクションノート(4)クールボックスの中の魚

クールボックスの中の魚

クールボックスの中の魚の目に映っているのは、冷たい氷と歪んだ四角い風景。初めて見た青い空に白いものが浮いているが、それが雲だということを魚は知らない。

魚の目はつり上げられたときに桟橋に叩き付けられ、ひどく傷めて血が浮かんでいる。逃げようと必死でもがいたが釣り針は外れず、魚は攩網で掬い上げられてしまった。

魚は考えた。このあとどうなるのか。

凍った水の欠片の中で冷やされて、自分はどこに運ばれるのか。

魚は自暴自棄な気分になったが、本当は水の中がそんなに好きでもなかった。特に何も考えていたわけではないが、人間がときどき空気の中にいるのがイヤになるように、魚も水の中にいるのがイヤになることがあるのだ。

こうして氷の中にいるのも、たまにはいいかもしれない。魚は面倒くさくなってそう考えてみる。

このまま意識が遠くなれば、何もかもとオサラバだ。

魚に弔いはない。

エビがタイに食われるのも、魚が人間に食われるのも同じことだ。

そう考えていたら、なんだか清々しい気分になってきた。

フィクションノート(3)信者乙

フィクションノート(3)

信者乙

車を運転していて突然、「信者乙」という言葉が浮かんだ。
ネットスラングだ。
あまり品のいい表現とは言えない。
乙、というのは「おつかれさま」という意味だが、「信者」というのは何かの考え方に熱心な人、ないし誰かの思想を信奉する人、あるいは誰かの熱狂的なファン、と言うくらいの意味だ。

用法としては、掲示板やツイッターなどで何かの議論が盛り上がってきて、ある特定の思想の強い主張がなされたとき、特にその主張の内容が未熟な時などに「信者乙」とコメントして冷やかす、というのが主たる用法だ。それを応用し、実際にはしっかりした主張に対しても「信者乙」とコメントすることによって「お前の主張はなってないぜ」という意思表示に使われることもある。しかし、こういうネットの発言の常として、言っている本人が何を言っているのか良くわからない、混乱した感じで発言していることもよくある。すると「信者乙」という言葉は、なんのあてもないただ無名の冷めた悪意のようなものとしてネット空間を浮遊するだけのものになったりする。

つまり、あまり上等な言葉とは言えない、便所の落書きのようなものだと言ってもいい。

しかし、実は私はこの言葉が好きだ。あまり意味のない使われ方をしていると困ったものだなあと思うが、絶妙に人を刺すタイミングで使われると、ときどきぐうの音もでないほどのダメージを発言者に与えているのを見かけることがある。皮肉屋なら、一度はそういうことをしてみたいと思うものだ。

しかし、こういう皮肉というのは運動神経を必要とするし、皮肉をキメたからと言って何か生産性があるわけでもないので、バトル上の一つの打撃に過ぎないし、相手は無傷を装うから、見た目はただの自己満足に見えたりする。

こんなものが好きだ、というのはあまり自慢になることではなくて、まあB級グルメや下手物好きの部類に入る。言葉のB級グルメというのは品のない言葉でブログを書いてアクセスを稼ぐというのと本質的には同じだ。そのときにはいいかもしれないが、結局自分に帰って来る。飲み歩いて最後にラーメンをすすり、すぱすぱ煙草を吸う、という快楽と同じようなもので、いつか自分に帰って来る。ろくなものじゃないことは分かっているのだ。

しかし皮肉というのは、どうしてあんなに気持ちがいいんだろう。毒舌屋と言われて悦に入っている手合いを見ると「乙」と思うだけなのだが、まあ結局は自分も同じ穴の狢なのだ。

そう思って車を第三京浜に入れる。夜のハイウェイは滑走路のようだ、とユーミンのフレーズで自分を脱臭してみようとするが、染み付いた臭いはなかなか取れない。

輪転機

輪転機

 私は印刷室にこもって、自分の考えに耽りながら作業していた。
 何はともあれ生きるんだ。そう思っておかないと、生きるのが面倒くさくなってしまう。実際もともと、生きるなんて面倒くさいことばかりだ。一瞬の楽しみのためにずっと我慢する、なんて生き方を、いつまでもできるのだろうか。楽しいことがある、と自分を鼓舞しながら生きる、なんて生き方も。
 そんなことを考えていて、突然気づいた。
 ああそうかなるほど、こういうのを鬱というんだな。
 今更ながら気がついて私は、輪転機を回し続ける。休み時間はもう、終わりに近づいていた。

フィクションノート(1) 私はある朝目覚めなかった

フィクションノート(1)

私はある朝目覚めなかった

私はある朝目覚めなかった
起きて布団から出なかった
歯を磨かず顔を洗わなかった
私はその朝死んでいた
夜になっても死んでいた

その次の日も死んでいた
私は目覚めず死んだまま
ここは静かだと思っていた
生きていても一人、死んでも一人
ならば何を孤独というのだろう

なぜ一人で死ぬことを
そんなに恐れるのかが分からない
生きていても死んでいても一人だから
一人でもみんなでいても同じじゃないか

私はその朝死んでいた
死にながら私は、ここは静かだと思っていた
朝から晩まで静かな場所で
私はいつまでここにいる?

私がある朝目覚めると
私はもう私ではなかった
黄色い菜の花の咲き誇る畑で
黄色い蝶になって飛んでいた
私は花の蜜を吸い、満足して飛び去った
私はひらひらと舞い上がり
青い空へと昇って行った
強い風に吹き飛ばされて
私はばらばらになっていた

私はある朝死んでいた
蝶の私が死んでみても、
悲しんでくれる人もいない。
悲しんでくれる蝶もいない。

私はどこからどこへ行くのか
少しだけそんなことを考えた。

「鴨澤めぐ子 水彩画作品展」にて作品集『往還』を販売します

2012年9月17日(祝)~23日(日)に東京・十条のギャラリー&カフェFINDで開催されます『鴨澤めぐ子水彩画作品展 ケルト魔術の光と癒し』展にて、堀田耕介作品集『往還』を販売します。鴨澤さんの描く植物と鉱物の魅力、ケルト魔術の世界をどうぞお楽しみいただき、作品集を手に取っていただければと思います。表紙の絵は鴨澤さんに描いていただきました。

「往還」

ギャラリーFIND http://www.find.ecnet.jp/event.html

 

電子書籍について

現在、堀田耕介の作品は電子書籍にて『パブー』で読むことができます。

http://p.booklog.jp/users/kous37

『本の木の森』およびその第1部~第4部の分冊、『大聖堂のある街で』第1話~第10話は子どもを主人公にしたファンタジーです。

『ガール』は不思議な少女が主人公のお話。『使命』は…読んでください。(笑)『本の木の森』は一部有料設定にしてありますが、他の作品は2012年9月6日現在無料でお読みいただけます。この設定は今後変更する可能性がありますのでご了承ください。